まいど。ファンクラ編集部お酒と格闘技担当のブロンソンです♪
今回もボクシングの話題を一つ。
ボクシングにおけるパーフェクトレコードとは何を意味するか皆さん知っていますか?
日本が誇るスーパーチャンピオンの井上尚弥選手も、日本では那須川天心戦で知られるメイウェザー選手も無敗ですがパーフェクトレコードではありません。
パーフェクトレコードとは全勝全KOの事です。日本では比嘉大吾選手がデビュー以来15連続KOを続けていましたが、残念ながら16戦目で敗れてしまいましたね。
実はボクシング史上たった一人だけ、パーフェクトレコードのままリングを去った世界王者が存在します。
今回はそんな怪物王者をご紹介したいと思います。
ベネズエラの悪童
その男エドウィン・バレロは1981年、貧困と暴力が蔓延するベネズエラに生まれました。
少年時代からコカインを常用しストリートファイトに明け暮れていたといいます。(このコカインがのちに彼の人生を大きく狂わせる事になります…)
12歳からボクシングを始め、アマチュアで92戦86勝(45KO)6敗(他説あり)の戦績を残しています。
2002年、20歳でプロデビュー。持ち前の圧倒的パワーと徹底的に相手を痛めつける凶暴性で、デビュー戦から12戦連続1ラウンドKO勝利を記録し、アメリカ進出を果たすも、2004年に過去のバイク事故の影響による脳溢血が発見され、以降、アメリカのリングに立つことができなくなります。
1ラウンドで倒されなかったら賞金!?
戦う場を失ったバレロは2005年、帝拳プロモーションと契約を交わし来日します。
日本でも当たり前の様に1ラウンドKOを続け、ついには「バレロを相手に2ラウンド開始のゴングを聞いたら勝敗にかかわらず100万円。バレロに勝った場合はさらに100万円」という賞金マッチを行うことに…
16連続1ラウンドKOをかけて阪東ヒーローと戦いますが、2度のダウンを奪い、116秒でTKO勝ちしてしまいます。
この後もバレロは1ラウンドKO勝ちを続け、18連続1ラウンドKO勝ちの世界記録(2006年当時)に並びます。
日本で3度の世界戦
19戦目にして初めて2ラウンド開始のゴングを聞くも、このラウンドで相手を仕留めます。
そして20戦目にWBA世界スーパーフェザー級王者ビセンテ・モスケラを相手に世界初挑戦。ダウンを奪われるなど苦戦しながらも、10回2分00秒TKO勝ちを収め、王座奪取に成功します。
その後4度の防衛戦を行い、その内3度は日本で開催され、その全てをKO勝利で飾りました。
アメリカ復帰、27歳で2階級制覇
バレロの日本での快進撃に目をつけた大物プロモーターボブ・アラムによって、2009年トップランク社と契約し、米国に拠点を戻す事になります。
同年4月にはマニー・パッキャオ(フィリピン)が返上して空位になったWBC世界ライト級王座決定戦に出場し、15連続KO勝利中のアントニオ・ピタルア(コロンビア)と対戦。2ラウンドKOで2階級制覇を達成しました。
その後2度の防衛戦でもKO勝利をおさめ、通算成績を27戦27勝(27KO)無敗とし、3階級制覇を目指し、スーパー・ライト級への転向を宣言します。2009年はパッキャオもスーパーライト級に転向し、リッキー・ハットンからIBOスーパーライト級王者を奪った年でもあり、バレロとパッキャオの対戦が実現しないかワクワクしていたのを覚えています。
突然の訃報
そんな矢先に世界中に衝撃のバレロの訃報が届きます。
以前から、大量のアルコールと薬物を摂取しては、妻への暴力を繰り返していたと言われるバレロ。
2010年4月、ベネズエラの滞在先のホテルの部屋から血まみれで出てきたバレロは、ホテルの警備員に「妻を殺害した」と告げ、警察によって妻の刺殺体が確認されると、そのまま現行犯逮捕されてしまいます。
そして、その翌日に警察署内の独房で、履いていたスウェットパンツで首を吊って自殺をしました。コカインとアルコールの中毒で精神異常をきたしていたと言われています。
こうしてエドウィン・バレロは通算成績27戦27勝(27KO)無敗のパーフェクトレコードのままこの世を去りました。
攻撃にパラメーターを振り切った躊躇のない試合スタイルでKOの山を築き、パーフェクトレコードを誇った怪物王者バレロ。パッキャオとも同時代に生き、対戦の可能性もあっただけにその短すぎる生涯が悔やまれます。
怪物王者の壮絶なストーリーはいかがでしたでしょうか?今後もボクサーや格闘家の面白いエピソードを紹介していきたいと思います。では!