まいど。ファンクラ編集部お酒と格闘技担当のブロンソンです♪
今回はまず伝説のボクシング漫画「はじめの一歩」の一場面から。
主人公「幕内一歩」の先輩「鷹村守」と世界王者「ブライアンホーク」との対戦シーンです。
ノーガードで上体を大きくスウェー・バックした体勢から、カウンターで反撃するという描写はいかにも漫画的で「そんな奴おらんで」と思いませんか?
割と有名な話ですが実はこの「ブライアンホーク」には、れっきとしたモデルが実在するんです。
悪魔王子
その男、ナジーム・ハメドは1974年イギリスに生まれました。両親は共にイエメンからの移民なので、肉体的には100%アラブ人です。
アマチュアボクシングを経験後、1992年に18歳でフライ級でプロデビューすると連勝街道を驀進していきます。
そのボクシングスタイルはリードブロー(ジャブ)を打たない、腕をだらりと下げガードをしない、飛び上がってパンチを打つ……。
従来のボクシングセオリーを全く無視したトリッキーなスタイルで一気に世界チャンピオンまで上り詰めます。
派手な入場パフォーマンス、試合内容とその端正なルックスから「プリンス」、「悪魔王子」の異名で人気を博します。
初防衛35秒の瞬殺劇
ハメドの強さと衝撃のスピードがよく分かる試合がこちら。1996年3月、WBOフェザー級王座の初防衛戦でサイド・ラワル(ナイジェリア)に初回KO勝ちした試合。
開始のゴングから約3秒。ハメドの飛びかかる様な右フックがいきなり相手の顔面をとらえます。なんとか立ち上がるも、ハメドはノーガードで追撃。
試合開始から35秒、繰り出したパンチはわずか3発という圧巻の初防衛を果たしたハメド。ネコ科の猛獣がハントするかの様な動きだなと思って見ていた記憶があります。
歴代最高峰のパンチャー
型破りなファイトスタイルで通算37戦36勝(31KO)1敗と、軽量級ではあり得ない86%ものKO率を誇ったハメド。
柔らかいしなやかな動きのパンチなので、一見威力がなさそうに見えるのですが、ハメドを指導した名トレーナーエマニュエル・スチュワード(ハーンズ、ホリフィールド、デラホーヤ、レノックス・ルイスなどを指導したすんごい人)をして、「もしレノックス・ルイスとハメドが同じ階級ならハメドのパンチ力の方が上だ」と言わしめるほどのハードパンチャーでした。
実際に日本でも有名な3階級王者ウィルフレド・バスケスをはじめ、同級の各王者をマットに沈め、実質的に4団体の世界フェザー級王座を統一しています(返上などもあり、同時に保有はしていない。)
ハメドのパンチの秘密はただ強いだけではなく、体の軸をずらした体勢で相手の死角から体全体で放つので、対戦相手はタイミングを外されてモロに被弾する事にあります。オーソドックスなスタイルのボクサーほど、ことごとくハメドの術中にハマって破れ去りました。
唯一の敗北そして引退
2001年4月、マルコ・アントニオ・バレラとのIBO世界フェザー級王座決定戦に敗れ、ハメドはついにプロ初敗北を喫します。
試合展開としては、バレラは執拗にカウンターを狙った出入りの激しいボクシングで、ハメドの的を絞らせないよう徹底。第1R中に3度もハメドをぐらつかせるなどハメドの特徴的な動きを攻略し、2Rからはハメドがたまらずガードを上げて戦うという珍しい戦略を取り、バレラが判定勝ちを手にします。
その後、バレラとの再戦が予定されるも2001年9月11日アメリカ同時多発テロが発生。アラブ人バッシングが激しくなり、中止となります。
翌年IBO世界フェザー級王者に返り咲きますがそのまま引退。9.11がその後のマッチメイクに大きな影響を与えたとも言われており、そういう意味では悲運のボクサーと言えます。
ハメドが引退して20年が経ちますが、ハメドの様なスタイルのボクサーは現れていません。やはり唯一無二の天才とも言えるのではないでしょうか?
ちなみに山本”KID”徳郁もK-1に参戦する際に「あんな風にスタスタ歩いて自由に強いパンチが出せるようになりたい」とハメドの戦い方を参考にしたそう。分かる気がする…
今回は漫画の登場人物のモデルとなった変幻自在のボクサーをご紹介しました。今後もボクサーや格闘家の面白いエピソードを紹介していきたいと思います。では!